【日時】 2022年3月17日(木)14時~16時
【会場】オンライン(Zoomミーティング)
【申込方法】
登録フォーム
( https://u-tokyo-ac-jp.zoom.us/meeting/register/tZUsce6sqDIpG9MqcLjtnEjtJIjGD6YQmJU9 ) より、
3月16日(水)17時までにお申し込みください。
【題目】Greed is Dead:強欲は善か
【発表者】 池本 幸生 (東京大学東洋文化研究所・教授)
【司会】菅 豊(東京大学東洋文化研究所・教授)
【使用言語】日本語
【要旨】
経済学が想定する人間像は、「自分自身の効用を最大化する」という「経済人」である。他人の「効用」をまったく考慮しないという意味で「利己的」である。効用を「幸せ」と見なせば、「経済人」は自分自身の幸福だけを考える人間だが、「経済人」の「効用」が所得によって決まると仮定するので、金儲けだけを考える人間である。この奇妙な人間像を受け入れてしまった経済学者は利己的になる傾向があるということを示す研究もある。
1980年代になると、「強欲はいいことだ」と公言する投資家が表れ、1987年の映画『ウォール街』で、「他人を苦しめる強欲な投資家」として描かれる主人公ゴードン・ゲッコーのモデルとなる。この映画監督はゲッコーを批判的に描こうとしたが、その意図に反してゲッコーに憧れ、ゲッコーにならってウォール街の世界に飛び込む若者が増えていった。1990年代になると、アメリカでは「強欲は善だ」という考え方が広まり、日本にも遅れて入ってくる。2000年代になると「メザシを食べる経営者の時代は終わった」と言う経営者が現れた。強欲な経営者にとって自分自身の利益になるのであれば、平気で嘘をつくし、法律を犯すことも気にしない。楽器ケースに隠れて国外に逃亡する者もいた。企業は検査データを改ざんし、政府は統計を改ざんし、経済学者はその統計を使っている。強欲を容認することと倫理観の崩壊の間には関連がありそうである。
利己心を擁護するために引用されるアダム・スミスだが、スミスは『国富論』の中で、パン屋を例に自分自身の利益を追求することは擁護したものの、道徳哲学者であったスミスが、倫理に反して強欲であることを擁護したわけではなかった。いつ頃からどのようにして経済学は「強欲であること」を擁護することになったのだろうか。このことを、アマルティア・センの『正義のアイデア』とポール・コリアーの『Greed is Dead』を参考にしながら考えてみたい。
【問い合わせ先】last_lecture_20220317[at]ioc.u-tokyo.ac.jp
担当:池本